Fiori

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alphekkaとまるい月

四月の恋人
 冬の始まりに降る雨は、ひとにはとても冷たいのだろうね。  ぽたりぽたりと落ちる雫を窓から見て、そんなことを思ったよ。  こんな雨の日は、森に出かけたあなたを迎えに行こうかな。  森に出かけたあなたは迎えを好しとは言わないけれど、こんな日だけは特別。……そうだろう?  いつもの軍服に、いつもの軍靴に、いつもの白いシャツ。  あなたを濡らしてしまわないよう、大きな丸い傘も持っていこう。  家を出て、森へ入って、あなたを探して歩く。  こんなときはね、あなたと会って一番に何を言おうか、いつもちゃんと考えている。  考えて考えて、結局何も言えないのだけれど。  考えているのはたとえば、この傘を叩く雨音の違い。  空の機嫌の善し悪しで、雨が傘を叩く音は違うのだよ。  機嫌の好い雨のときは、聞いていて気分が浮き足立つような音がする。  もちろんこんなことを話したところで、ひとにはわからないと思うけれど。  ――あなたには、わかるだろうか。 「あ」  森の奥で、あなたに会った。  樹の下に潜り込んだあなたは目を丸くして、俺が差した傘を見る。  お入り、とは言うまでもなかった。あなたは丸くした目を柔和に細めて、ぱた、ぱた、ぱた、とこちらへ駆けて来る。  持ち上げた手の袖で濡れた額を拭いてやった。あなたはくすぐったそうに笑ってみせる。  つられて俺も笑ったような気分になったけれど、顔の筋ひとつ動く気配は無かった。  笑うのは、やはり苦手だ。それを伝えようとする言葉は、うまく口から出てこない。  何かを言うより先にあなたは背伸びをし、俺の口許に指先を押し当てて、しぃ、と短く息を吐く。 「謝ったりしなくていいの。迎え、ありがとう」  本当は迎えに来てしまったことを謝りたかったのではなくて、あなたと一緒に笑えなかったことを謝りたかった。  けれどあなたはただただ笑っているから、謝る必要はないのだとも思った。  あなたの入った傘の下は、少し狭い。俺はちょっと迷って身を引いた。  それと同時に傘を持つ腕を少し前へとやって、あなたの体を丸々傘の丸い輪の中に入れる。  あなたは、少しだけ驚いたような顔をした。  今度は俺が空いた手を持ち上げて、あなたの口許に指先を持っていく。  俺が濡れるのは構わないから。大切なあなたは濡れてしまわぬよう。  濡れると冷えるよと口にしようかと思ったけれど、結局やめた。  なんだか気恥ずかしい気がして、ただ黙って身を翻す。帰ろう、とも言わなかった。  途端に感じるのは、背中にぴったりとくっつく暖かな温度。  びっくりして振り返ると、背中にくっついていたのはあなただった。 「だってぴったりしてないと、あなたが濡れちゃうじゃないの」  俺のことはいい。そう言う代わりに、首を強く横に振る。  俺はあなたを迎えに来たのだ。あなたが濡れてしまわぬよう、あなたが寒くないよう。  あなたに気を使わせてしまったら、それこそ本末転倒だ。  だから慌てて一歩前へと踏み出したのだけれど、あなたは俺の背中にぴったりとくっついたまま、ちっとも離れようとしない。  たしかにこれならふたりとも濡れないけれど、これでは俺が少し暑いよ。  わずかに眉根を寄せると、あなたはちょっぴり肩を落として、ほんの少しだけ後ろに下がった。 「くっつくの、やっぱり嫌かしら」  そういうわけではないよと、ますます強く首を横に振る。  どうしようかと少し迷って、結局あなたの体を抱き上げた。  ――ぴったりとくっついたら暑いけれど、抱き上げるくらいはまだ、なんとかなる。  それでも、ひとの、あなたの体は、俺にとっては熱いのだよ。  熱くて熱くて、ずっと触れていると溶けてしまいそうな気さえする。いや、実際に溶けてしまうのだけれども。  ……だから俺は、ひとが、嫌いだよ。  ひとと一緒に居ると、俺の方が死んでしまうから。消えなくてはならないから。  でもね、あなたは別だ。あなただけは、別だ。  あなたの体が温かいのを確かめると、とても幸せな気分になるよ。  あなたが生きているのだと、肌を通してわかるから。  抱き上げたあなたを連れて、森を抜ける。森を抜けたら後は、家に帰るだけなのだけど。  それでは少し寂しいから、少し高い位置に移ったあなたの顔を上目遣いに見上げてみる。 「遠回り、する?」  うなずいた。  また踵を返して、森の中に入る。  森には、誰かが通した疎水が流れる。その流れを逆に辿って何とはなしに、歩を進めた。  別に目的は無い。  あなたも、何も言わない。  そういえばこの疎水は森の外にある、山のどこかから流れてきているのだったか。  こうやって疎水を遡って行くと、ああ、ほら。……やはり、森の終わりに着いた。  片手で傘を持ち直して、さらに疎水の流れを辿る。  幾分急な山の傾斜を登って、登って、帰りたくなるまで遠くへ。  そのうちふつりと雨は止んだ。通り雨、だったらしい。  雨の行過ぎた空は、みるみるうちに明るく青く染まる。  その優しい青の空の一点を指差して、あなたは再び笑った。 「ほら、あれ。虹が見えるよ」  言われて首を廻らせれば、傘越しの遠い空に七色の筋が見えた。  とても細くて、今にも消えそうな虹の色。 「ぴったりくっついてるねぇ」  ……やはり、うらやましいだろうか。 「満足、満足。さ、帰ろ」  傾斜の上のほうに、彼女を降ろす。  俺は雨よりも日の光が怖いから、傘だけは頭上に差したまま。  俺よりも背の低いあなたと、傘の真下でうまい具合に目線の高さがかち合った。  ――刹那。  あなたは再度、かすかに笑って、  笑って、 「――おどろいた?」  肌、――とはわずかに異なる感触が、頬に触れた。  甘い、花の香りが鼻をくすぐる。くしゃみが出た。  手を上げて頬に押さえる俺に構わず、あなたは笑ったまま傘の下にもぐりこんで来る。  それからあなたは手を伸ばして、頬を押さえた俺の手に、触れる。  暖かい手。やわらかくて、暖かくて、とても。  …………  とても、なんだろう。  よくわからない感覚がする。  なんだろうこれはと問いかけようとして、口を開いた。  開いた口に、何かが触れた。  頬に触れたのと同じ感触の、……くちびる。 「もらっちゃった、もらっちゃった」  本当に無邪気な様子で呟いて、あなたは体ごと俺から離れる。  ……もらわれた、もらわれた。何をかは知らないが、とにかく、何かを。  あなたは相変わらずもらっちゃった、を連呼しながら、俺の傍を離れて斜面を下った。  少し降りたところで、くるりとこちらを振り返る。 「わたしも、同じものあげたから」  もらった、もらった。何をかは知らないが、とにかく、何かを。  頬に触れていた手を自分の唇にずらして、少し考える。  ……何を、もらったのだろう。  それを問う前にあなたは斜面を駆け下りて、森の縁へと歩いていく。  仕方ないので、俺も黙って斜面を降りた。唇の感触が、まだ自分の唇に残っている。  手に触れたあなたの手と同じ感覚が、そこにもあった。  これは、いったい何なのだろうね。とてもとても、暖かい気がするけれど。 「ね」  森の縁まで降りたとき、あなたは急に真顔になって俺を見た。  ちらりと見上げた空からは、虹が消えていた。 「ファーストキスあげたんだから、お嫁にもらってくれるよね」  ……………… 「なんだその、ふぁーすときす、というのは」 「……初めて口利いたと思ったら、まず一番にそれかぁ」  わからない言葉は意味を明確させておかねば、後々に差し支えると思う。  けれどあなたはそれが不満のようで、唇を尖らせて俺を睨んだ。  恐ろしくは、ないけれど。少し、ひるむ。 「乙女のたぁいせつなものを、あげたんです!」  俺も同じものをもらわれたらしいが、それについては黙っておこう。  それと。 「ならもうひとつ、もらっておく」  ――あなたが、大好きだ。  とてもとても、大好きだ。  かがみ込んで唇を合わせたそのときには、本当に幸せな気分がした。  けれどあなたは、……思い切り、俺の顔面をはたき飛ばした。痛かった。冗談抜きで。 「ひとつしかないものなの!」  そのひとつしかないものを、俺もあなたにもらわれたのだけれど。  これはやはり言わない方が、幸せなままでいられるかもしれないね。  さぁ。  雨が止んだから、虹も消えてしまったから、もう帰ろう。帰る為の場所へ。
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