Fiori
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- テレフォンコールとアップルシナモントランキライザー
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一日目の夜の電話は驚きと共にやって来た。
りんりんりりんと響いた電話の叫びに、寝床を蹴って飛び起きた。
先代交換手の引退に伴い、"中継ぎ業務"でやって来た電話交換所。まさか一日目から電話が掛かって来るとは思わなかったので、本気で慌てて電話を取る。
ハイと答える己の声は、ひどく震えた。――いざとなれば、電話は繋げぬと事情を説明するつもりでいた。
けれども電話向こうにいたのは他ならぬ、あなただった。
あなたはひどく怒った声音で自分が怒っているのだと告げて、それから何事も無かったかのようにどうしたのか、と問う。
こちらは少し迷って、仕事だから、と答えた。
ついでにアップルパイの作り方を聞かれて、林檎を煮てパイ生地に包んで焼けばいいと説明した。
「とりあえず、あんまり電話が掛かって来ない方がいいと思う? 代理の中継ぎ交換手さん」
「とても思う」
「……なんであなたが、電話交換所の中継ぎに抜擢されたのかしら。役に立たない交換手さんだわ」
「――俺はもともと平の軍人だから、あまり仕事が無いのだよ。だから、」
「えぇとね、それはわかるんだけど……ああ、もう時間だから、切るね。また明日、掛け直します」
がちゃん、と受話器の向こうで何やら大きな音がして、電話が途切れる。
交換所に詰めて初めての電話は、よそに繋ぐ必要のない奇妙な電話だった。
*
二日目の夜の電話もあなたから。
パイ生地はどうやって作るのかと聞かれて少し困った。練りパイと折りパイがあると説明すると、どちらが好きかと聞かれた。
どちらも好きだと答えると、どちらかひとつに絞れと電話の向こうの声が大きくなった。
少し迷う。
どちらかと言えば練りパイが好きだ、と答える。こちらの方が作るのが簡単だから。
するとあなたは少しだけ沈黙を挟んで、すぅ、と息を吸い込んだ。
「食べるんだったら、折りパイの方が好き?」
「……中身次第だけれど。いつも作るアップルパイは、折り畳んで作る」
「そっちの方が手間?」
「手間」
「うぅん。……作り方だけ、両方教えてくれるかしら?」
構わないと交換所の中でうなずいて、記憶を頼りにレシピを説明する。
――引継ぎの専門の交換手が来るまで、後五日。
掛かって来る電話は今日も、よそに繋ぐ必要のない電話だった。
*
三日目の昼の電話もあなたから。
林檎はどうやって煮るのかと、受話器を取るや否や一番に聞かれた。
砂糖で煮るのだと説明すると、林檎と砂糖の分量を教えてくれと言われた。
そもそも林檎の品種や大きさや、色んな加減でアップルパイの中身のレシピはころころと変わる。
迷いに迷ってそれを説明すると、電話の向こうであなたが困る気配がした。
「何度か試してみればいい。林檎はあるのだろう?」
「……いちおう」
「一応?」
「と、とにかく練習してみるから!」
――焦がさないよう弱火で煮るのだと説明すべく口を開いたそのときに、がちゃん、と電話の向こうで例の音がした。
そしてその日の夕方に、あなたのお父上のほうから電話があった。
「町長宅に繋いでくれ給え。やりかたはわかるかね?」
わかります、とひとりうなずく。
電話交換手を引退したご老人から、代理の中継ぎの業務に就くに当たって交換手としての仕事のやりかたは一通り習っている。
が、いざ電話を繋ぐ段になってみると、どこをどうするのか少々迷った。
「失敗しても怒りませんか」
「別に次の交換手の催促をするだけの用だから、繋がなくても構わんのだがね」
「……そうですか」
「とはいえこのまま切るのも癪だね。――ああ、そうそう。昼から娘が両手の指にぐるぐる絆創膏を貼っているのだがね、あれは若者の間で流行のまじないか何かか?」
「は、あ?」
「いや、知らないのなら構わんよ。……では一旦切るが、よそからの電話はちゃんと繋げるようにしてくれ給え」
会話の終わった後に、空の両手を見つめてみる。
両手の指に、絆創膏。まじないとは思いにくい。
首を捻っていると、りりりん、と電話が鳴った。
慌てて取ると、電話口の向こうの相手もずいぶん慌てているようで、荒く息を吐く音が聞こえた。
お繋ぎしますかどこですかと問い掛けると、どこにも繋がなくていい、とあなたの声がする。
「……指に絆創膏を貼っているそうだが、それは何かのまじないか?」
「強いて言うなら恋のおまじないね」
「ふぅん」
「あ、そうそう。アップルパイなんだけど、やっぱりうまく煮えないの、中身」
「――帰ったら俺が焼くよ。四日もすれば、そちらに戻るから」
「別に食べたいわけじゃないの! なんとなく、作りたいだけなんだから!」
ならば林檎を大きくざっくりと刻んで蜜で煮るのも簡単でおいしい。シナモンを掛けると尚良いと告げると、いつもより大きな音で電話を切られた。
……訳が分からない。
*
四日目は電話が掛かって来なかった。
*
五日目の朝に町長から電話があった。
あなたのお父上に繋いでくれという旨だった。ドキドキしながら電話を繋いで、ふたりの会話が終わるのを待っていた。
会話が終わって少ししてから、あなたのお父上から電話があった。
「明日の朝には次の交換手が来てくれるそうだよ」
「わかりました」
「良かったねェ。一日早く娘に会えるじゃないか」
「……そうですね。ありがとうございます」
はにかむように、小さく笑った。
笑った、つもりになった。
――流石に五日も電話交換所でひとりぼっちで暮らしていると、こういう会話がちょっぴり嬉しいと思う。
*
五日目の夜に、あなたが来た。
「来ちゃった」
電話交換所は、町から離れた丘の上。
そこを訪ねて来たあなたは絆創膏だらけの手に白い箱を携えて、にこにこと笑う。
「またなんで」
「差し入れ!」
その白い箱を差し出されて、少したじろぐ。絆創膏の肌色が痛々しい。
箱を受け取ってから、眉根を寄せた。
「……差し入れ?」
「そう、差し入れ。ひとりで電話交換所の中継ぎさんしてるっていうから、様子を見に来たかったの」
笑うあなたを交換所の中に招き入れ、ストーブの火を入れる。
箱の中身は、なんとなく予測がついた。
だからストーブの上に薬缶を載せて、薬缶の中に水を入れた。それから奥の台所にあるティーセットと安物の紅茶を持ち出して来る。
茶葉の缶を開けても、紅茶の匂いが薄かった。
「ストレートティーでいいだろうか」
「いいけど、どうして?」
「……このレシピには、ストレートティーがよく合うよ」
とたんに、あなたはまん丸に目を見開いた。
それからしばらくして、ぺろりと舌を出す。
「ばれてた?」
「……あれだけ電話が掛かってくれば、なんとなく」
ふたりぶんの紅茶を入れてから、あなたの持って来た白い箱を開く。
中身は予想したとおり、ちょっぴり過剰な焦げ目のついたアップルパイだった。切り分けてみると、ふわりと林檎とシナモンの香りがする。
手ごろな皿が一枚しかないから、ふたり分を一切れで切り分けて、交換所の中の小さな机の上に置いた。
フォークもひとつしかなかったのは、何かの陰謀だろうかと思う。
「あなたが先に好きなだけ食べてくれていいよ」
流石に年頃の娘が、男と同じ食器で同じ食べ物を食べるのは嫌だろうと思った。
が、あなたは何を思ったか、切り分けた分のアップルパイをフォークの上に載せて、こちらへヒョイと差し出して来る。
こちらが険しい顔で硬く口を閉ざしていると、身を乗り出してまで突き出してくる。
何の真似かと問おうと口を開いたら、その中にアップルパイを入れられた。
林檎とシナモンの香りに、思わず顔が緩む。
「おいしい?」
「おいしい」
良かった、とあなたは笑う。絆創膏だらけの手をぱん、とひとつ叩いて、素直に喜びを表す。
その様がなんだか愛くるしくて、俺も少しだけ笑ったような気になった。
「急がせてしまっただろうか」
問い掛けると、あなたは突然ぎょっとしたように目を見開き――ふるふると首を横に振った。
「それは、明日突然帰って来るって聞いて、でも――」
あなたは本当に、分かり易いひとだと思う。
それを思った刹那に、くつくつと笑い声が口からこぼれた。
「なら、明日帰ったら一番に、ふたりで砂糖で林檎を煮たアップルパイを作ろう」
身をかがめて、あなたと目線の高さを合わせる。
流れるのは少しばかりの沈黙。その末に、絆創膏の上からあなたの手に触れた。
「林檎は俺が切るよ。それと、」
――電話をありがとう。ひとりぼっちはさびしいから、とてもとても嬉しかった。
*
【トランキライザー】
精神安定剤のこと。
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