Fiori
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- 郭公の雛と梟の話
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おかあさんが笑っていた。
あまり見かけない笑顔だった。少なくとも自分には向けてもらったことの無い笑顔だ、とフィズは思う。思うにたぶん、自分でないひとも向けてもらったことのあるひとは少ないはずだ。
はにかんだような、照れたような、不思議な笑顔。
それを向けられた側はぼんやりとした無表情を崩さずに、少しだけ肩を竦めて、それからおかあさんの体を抱きしめていた。
――勿論フィズは、その日のうちに「彼」が嫌いになった。「彼」と出会って、初めての日のことだった。
「どうしたの、フィズ。……そんなにぎゅーってしなくても、お母さん、いなくなったりしないのに」
「彼」の名前ははくとという。雪を意味する冬の白、をひっくり返して、白冬。
本名は別にあるらしいが、彼が使う名前はいつでも、花兎達の使う言葉から与えられた「白冬」の名だ。
フィズは、白冬のことを敵だと思う。敵でないなら絶対に相容れない存在だと思う。
なにせ白冬はフィズからおかあさんを奪う。おかあさんがフィズに向けない笑顔を向けている時点で、かなり怪しいのだ。
よってフィズは白冬と出会ったその日から、なるべくおかあさんの傍に張り付いている。余力があれば、おかあさんを力いっぱい抱きしめて取られないように努力している。
取られてしまうおかあさんは自分が取られてしまうことに気づいていないから、のほほんとしたものだ。フィズがぎゅ、と抱きつくと、くすくすと小さく笑ってさえみせる。
「――おかあさんは、」
きっと取られちゃうんだよと、フィズはいつも訴えようと思う。
けれどそれを訴えたところで、どうにもならないのだともいつも思う。
だから、黙っておく。代わりにおかあさんを抱く手に力を込めると、おかあさんはフィズを力一杯抱き返してくれるのだ。
フィズはそれだけで、いつも幸せな気分になれる。なれる、が。
「白冬」
来た。見なくても、おかあさんの声で分かる。
おかあさんをフィズの手から取り上げる、最大にして最悪の敵。
するするとおかあさんの体に押し付けた顔を上げて目線を向ければ、その姿は嫌でも目に入る。漆黒の外套を纏った、白い髪の青年だ。
フィズはすぐさま目を細め、彼のことが気に入らない、と態度で示す。
おかあさんはそんなフィズを目に留めて、あらあらと小さな声を発して白冬を見た。
「この子、やっぱり拗ねてるみたい」
「拗ねてるんじゃない」
対する白冬の態度はひどく落ち着いたものだ。別に怒るでも拗ねて返すでもなく、ひとつ深く頷いてみせる。
それから気安い様子で手を伸ばして、おかあさんの頭を撫でるのだ。
そうするとおかあさんは擽ったそうな、嬉しそうな顔をして笑ってみせる。
当然、フィズはその笑顔が気に入らないのだ。
おかあさんが白冬にだけ向ける、他のひとには絶対に向かない笑顔。それを向けてもらえない人間の中に自分が入っていることが、ひどく悲しくて不愉快だった。そして何より、心配だった。
「拗ねてるんじゃないなら、なぁに?」
「心配してるの」
心配? とおかあさんは首を傾げる。
やはり、おかあさんは分かっていない――フィズは内心で肩を落とした。
なんでもないよと告げると、おかあさんは不思議そうにもう一度首を傾げる。いつものことだ。フィズは何も言わない。
おかあさんの不思議そうな視線を受けた白冬が、肩を竦めてフィズを見る。仕方ないから睨み返してやると、ひとつ鼻を鳴らされた。
「放っておけ。もう寝たほうがいい。――ひとの時間は終わりだ」
挙句、なかなかの言われようだった。
き、と睨む目線に込める力を強めると、もうひとつ鼻を鳴らされる。
「そうね。……この子だって、あんまり夜更かしさせると大きくならない気がするし」
おかあさんは楽しそうな声音で言ってから、フィズの体を抱き上げてくれた。
フィズは元々ひとりで眠れない。眠るのはおかあさんが眠るときと完全に一緒だ。
本当ならおかあさんが気づかないうち――例えば眠っているときに白冬を言い負かしておかあさんに近づかないようにしたいと思うけれど、他ならぬフィズが起きていられないのだから仕方が無い。
おかあさんが白冬に背を向けたのを認めて、フィズはいそいそとおかあさんの肩に顎を乗せる。これで白冬とは完全に向き合う形だ。
舌を出して見せると、白冬は僅かに眉間に皺を寄せる。
彼に対してフィズがやってやれる嫌がらせなど、所詮はこの程度が限界だった。
*
朝、目が覚めるとおかあさんがいなかった。
おかあさんの"友達"のリドゥリ曰く、朝早くから白冬を連れて買い物へ出掛けたということだった。
「なんなら追い駆けるかい?」
リドゥリは軍人だ。白冬と揃いの、冬用の黒外套は、その証。白冬とて、元を正せば軍属の"鳥"なのだ。
そんな彼らを護衛につけなくては、フィズもおかあさんも遠出が出来ない。
それを思えば白冬を連れて外に出掛けたおかあさんの判断は、決して間違いではないのだけれど。
「追い駆けたいなら、僕がついて行くよ。ついでに折角だから早く追いつけるように、馬でも引いてきてあげよう」
リドゥリは基本的にとても気さくで親切な軍人だ。行動には、基本的に何の悪意も無い。
ただ、寝起きのフィズには彼の発言さえ少しばかり意地の悪いものに聞こえて仕方が無かった。
故にフィズは軽く首を横に振り、彼の提案を受け入れない意を伝える。
「ん。馬、乗るの好きだろう?」
それを聞いて、フィズはおかあさんと白冬がそう遠くに出掛けているわけではないことを悟る。
ついでにもうひとつ悟ったのは、おかあさんと白冬が買い物に出掛けているわけではない、ということだった。
当然リドゥリはあらかじめそれを知っていて、その上で馬に乗って出掛けることをフィズに提案して来たに違いない。そうやってうまい具合に時間を潰させて、おかあさんにもフィズにも"良い一日"を過ごさせようと思ってくれているのだ。
フィズはまだうんと小さな子供だけれど、それがわかるだけの頭がある。
わかっているくせにリドゥリの提案を断ることは非常に悪いことだと思う。それでも――
「今日はやることあるから」
フィズがそう告げると、リドゥリは驚いたように目を見開いた。
「そうなのかい?」
「そうなの。ひとりでできることだから、リドゥリさんは心配しなくて大丈夫だよ」
「そうかい。――フィズがそういうなら、僕らが心配することもないだろうなぁ」
当然だよとフィズは頷く。
リドゥリもまた苦笑気味に頷いて返し、ならばとフィズの着替えを手伝ってくれた。
「僕はいつもどおりの場所に居るから。何かあったら遠慮なく呼んでいいよ」
「うん。そーする。おやつのときとか、呼ぶ」
「そうだね。おやつなら是非是非、付き合わせてくれると嬉しい」
にこにこと笑い合って、リドゥリと別れた。彼の言ういつもの場所――リドゥリの仕事場である駐在所はフィズの家からは少しばかり離れる。
手を振ってリドゥリを見送ってから、フィズはまだ眠気の残る頭を眠気の残る頭なりにフル稼働させた。
「チャンスだよね。これ、どう考えても」
――おかあさんが、心配してくれればいいと思った。心配してくれたら、きっと白冬よりもフィズの気持ちだってわかってくれるはずだ。
フィズを手放したくないと思ってくれれば、きっと白冬に取られてしまうようなことはしないはず。
それを思って真っ直ぐ、外へと飛び出す。
冬場であっても雪が降っていなかったから、コートは持たなかった。クロゼットから引っ張り出すとなると、小さなフィズにはどうしても多大な労力が必要になる。
ペタペタと長い距離を歩く傍ら大振りの枝をひとつ拾い、それで帰りの足跡を消しながら来た道を戻った。
隠れる場所は、家の近くでいい。家の中だっていいくらいだ。
「灯台下暗しとはよく言ったもんだよ」
それでも一応念を押して、隠れ場所には家に近い、駐在所の倉庫の屋根裏を選んだ。息を殺していれば、中に子供がいることなどそうそうバレない場所だ。というか、全く気づかれずに済むかもしれない。
中に保管したものを傷めぬようにという配慮から、倉庫の壁は非常に厚いのだ。中だろうが天井裏だろうが、相当大きな音を立てても外には響かない。
倉庫の中の荷物を登って、うまい具合に屋根裏へと滑り込む。
ついでに踏み台にした荷物をちょいと蹴り飛ばしてやれば、フィズが屋根裏に登ったようには見えないだろう。
「いっぱい心配すればいいんだよ。……してくれたら、帰るし」
入り込んだ屋根裏で、ひっそりと膝を抱えた。
こうなったら後は、フィズと周囲――おかあさんの根比べだ。
フィズは屋根裏でくつりと笑う。負けるつもりは無かった。何せフィズは心配の材料が無いから、わざわざここを出る必要が無い。
腹のひとつも減ることを考えて、缶詰と缶切りだって台所から持ち出してきた。
それと遠くでふつりと途切れた足跡が相俟って、おかあさん達はきっとフィズが遠くへ消えたと思い込むだろう。遠くを捜して、それでも見つからないからたくさん心配するはずだ。
はずだ、けれど。
――がたたん、と下で小さな音がした。
「……へ」
もうひとつ、今度は少し近くで同じような音がした。慌てて床に耳を当てる。
「思うにね、相棒。片目で荷物積むってのは案外周りに危険を及ぼすんじゃないのかね。……倒れるの、これで二度目だぜ」
「うるさい。おまえの方こそ口ばかり動かさずに手を動かせ、手を。おまえは両目が見えるのだろう」
聞こえる会話は、まずいどころの話ではなかった。
「へーへー。ったってまぁ、今回は倒れた荷物少なくて良かったね。――これで終わり、と」
「紐で縛っておけ、紐で。次に倒すと流石にまずいだろう」
また同じ音がする。今度はまた、もう少し近い。
「あ、」
慌てて、声を発そうとした。けれどもそれを成しえる前に、もうひとつがたんと音がして、
「しゅーりょー! やっぱり天井ぎりぎりまでモノ積むと威圧感あるね!」
「感心していないでほら、帰るぞ」
声がするりと離れていった。
「ちょ、ちょっと!」
拳を握って天井裏から天井を叩くが、返答は無い。手を伸ばして登ってきたのと同じ天井板の一部を下に落とそうとしたが、落ちない。
力一杯切れ目に爪を立てても、フィズの爪はそう長いわけでもない。切れ目に引っかけて、痛いのを我慢して力を込めても、板はぴくりとも動いてくれない。
「リドゥリさん!」
ああ、駄目だ。リドゥリはきっと駐在所にいる。こんな所で叫んだって、きっとフィズの声は聞こえない。
ならばせめてと、フィズは遠い記憶を辿った。片目、片目。――さっき荷物を積みに来た軍人ならば、リドゥリよりフィズの声が聞こえ易い場所にいるかもしれない。
「ファルクレイ!」
この辺りに、片目の軍人など彼しかいない。それでも、呼びかけに対する返答は無かった。
すぅと背筋が冷えるのがわかった。冬の寒気に中てられたわけではない。これは、単に。
「――おかあさん!」
命の危機を感じての、悪寒だ。
その証拠に、フィズは大声で何度も母親を呼んだ。割れるほど力を入れて木の板に爪を立て、引っ切り無しにそれを引っ掻いた。
外套を持って来なかったのがいけなかった。このままでは、寝たら最後、
「おかあさん、僕死んじゃうよ! ねぇ、おかあさんってば!!」
おかあさんは今、フィズから一番離れたところにいる。それでも何度も何度も、彼女を呼んだ。
そのうちに喉から、声の代わりに咳が出た。やや遅れて、指先に鋭い痛みが走る。反射的に口に含んだそれに、鉄の味。するすると、頭の奥底が冷えていった。
「どう、しよう」
とんでもないことをしでかした自覚があった。
心配を掛けるどころではない。自分は死ぬに違いない。
もう一度膝を抱えて、顔を埋めて、縋るような気分で泣き出した。フィズが泣くと、お母さんはいつでもすぐに気がついてくれるのだ。
けれども、今は。――遠過ぎる。
*
一体どれほど自分が泣いていたか、あまり釈然としない。
そのうちそれでも泣き続けること自体が辛くなって、膝から顔を上げた。
刹那、
「よう」
目が合った。
がた、と小さな音を立てて、フィズは後ろに身を引く。
屋根裏にはすっかり夜の色が染みていたが、すぐそこに座った青年の髪は、夜目に鮮やかな白色をしていた。故に、夜色の中に良く目立つ。
「な、なにしてんだよっていうか、なにしにきたんだよ!」
半ば棒読みで訴えると、青年は小さく眉根を寄せた。
「外。……えらい騒ぎだぞ。みな、遠くを捜しているが」
「そうだろうね」
「わかっていて、やったのか?」
「――うん」
そうか、と青年――白冬は顎に手を当てる。少し、何かを考えている風だった。
考え事が終わるのを待たずに、フィズは小さく身を乗り出す。
「みんなが遠く捜してるのに、ここ、よくわかったね」
「俺は"梟"だからな。特別だ」
「……よく入れたね」
「上からちょいと鳥の格好で、な」
ただでさえ高さの低い天井裏で、白冬はフィズと同じように膝を抱えて座っている。
膝を抱えた上で背中を丸めて、それでもまだ窮屈そうに見えた。
「おかあさん、心配してる?」
「うん。あいつはおまえが一番だから」
フィズは眉根を寄せた。
「でも、おかあさん、僕には白冬にしてくれるみたいに笑ってくれないよ」
「だろうな。あいつの俺は一番ではないが、あいつの特別だ」
白冬はふふん、と自慢げに鼻を鳴らす。全然フォローになっていなかった。
それを思ってフィズがますます眉根を寄せると、白冬は窮屈そうななりに肩を竦めて見せる。
「なんだ不満か」
「不満を抱かないと思ってるんだったら相当なアホだね、おまえ」
「これでも二百年は生きているぞ。おまえの、あー……――」
「人生の先輩? 約六十倍?」
やくろくじゅうばい、と、白冬は決まり悪そうに呟いた。
今度はフィズの方が肩を竦める番だった。約六十倍生きているのだとしても、阿呆は阿呆で決まりだと思った。
その阿呆の白冬はといえば、頭のいい子供だなぁと、無表情にぼやいている。
「……それでその特別さんは、僕を迎えに来たの?」
問うと白冬は、うん、と頷いた。
「俺がな、傍に居るだけでは駄目なのだよ。俺は特別だけれど、一番はおまえだから」
「おかあさんのこと?」
また、頷く。
「でも、白冬は僕からおかあさん取ろうとするじゃないか」
「……未遂だ」
「未遂かよ。やる気はあんのか」
三度目もまた、頷く。あまりに素直なので、逆に呆れた。
フィズは膝を抱える手を緩めて、深々と溜め息を吐いてみせる。その様子を目に留めた白冬は、不思議そうに首を横に傾けた。――梟染みた動作に見えた。
「それでも、きっと取れない。……が、おまえを連れて帰ると褒めてはもらえると思う」
その梟染みた動作をする青年は、物事を隠すということをしない。
思っていることをそのまま言うから、口喧嘩にだってなりそうもなかった。同時に自分のしたことの馬鹿馬鹿しさを再確認して、もうひとつ溜め息を落とす。
拗ねて、おかあさんに心配を掛けた。そんなことを、するべきではなかった。
だから。
「帰りたくても、下の板が外れないよ。荷物がある」
溜め息混じりに、教えてやる。連れて帰ってもらえたら、少しはこの"鳥"に歩み寄る努力をしてもいいと思えた。
そう思われている鳥の方は、ふぅん、と面白くもなさそうな顔で足元を見やった。
そしてひょい、と何気の無い様子で天井裏の板に指先を這わせ、
「そんなものは上にめくればなんとかなるだろう。案外阿呆だな、おまえ」
板の切れ目に爪を掛けた。ひとの爪と外見は大差の無い爪だ。指自体も、楽器の奏者のように華奢なつくりをしている。
しかし白冬がくいと指先に力を込める風を見せれば、板の方が嫌な音を立てて、――めくれた。続けて乾いた音を立てて、剥がされた板が中ほどで割れる。
おお割れた、とつまらなそうな顔でぼやいた白冬は、割れた板を脇に放った。
二枚目に剥がそうとした隣の板も、やはり中ほどで割れる。
「どうもうまく一枚は剥がれんな」
「冬で、乾いてるから」
「なるほど」
三枚目の板を割ってしまえば、ひとがちょうどひとり、潜り抜けられるサイズの穴が天井に開いた。白冬はそこから下を覗き込み、それからちらとフィズを見る。
下を指差してみせる辺り、"飛び降りられるか"と問いたいようだった。
フィズも合わせて下を覗き込み、"絶対無理"と首を横に振る。白冬はひどく残念そうな顔をした。
「仕方ないから抱えてやる」
ややあって伸びた彼の手は、思った以上に恐る恐るの手つきでフィズを抱える。ひやりと、氷のように冷たい手だった。
その冷たさに対するキャッと言う悲鳴を天井裏に残し、フィズの体は倉庫の中に落ちた。正確に言えば、降り立った。
改めて体を伸ばして立つと、夜の寒さが身に染みる。白冬の氷の手は降りると同時に慌てたように離れて行ったが、嫌というほど体が震えた。歯の根だって噛み合わない。
それを見ていた白冬はつィと顎に手を当てた。
「ああ、やはりか。そうか、すまんな。――さっき外套をやるべきか、迷ったのだが」
やはりつィと顎から手を離すと、白冬は頓着無く外套を脱いで、フィズの体に掛けてくれる。
恐ろしく冷たい手の持ち主が着ていた外套だけあって、外套自体も性質の悪い冗談のように冷え切っていた。それでもしっかりと夜の寒さは防いでくれるし、何よりしばらく着ていれば中だって温まって来る。
震えが、止まった。
「おまえの母親と、屋内で会えればいいのだがな」
「会ったらその瞬間にお説教くらいそう?」
白冬は頷いた。
フィズは苦笑して、外套の襟を掻き合せる。
「外で会っちゃったら我慢するよ。これ着てるから、死ぬほど寒くは無いし」
お説教が終わったら、やはりこの"鳥"と少し話をする必要だってある。その出汁に使うためにも、外套は借りておいた方がいいだろう。
そんなことを考えながら、フィズは外套の裾をたくし上げる。
そのままとりあえず、と倉庫を出ようとした刹那、後ろに居た白冬が床を蹴る音がした。
振り返る。白冬はいない。――遅れて倉庫の扉が壊れそうな音を立てて開いた。
扉の方を向き直ったとき、そこに居たのは当然の如く、
「お、おかあさ――」
怒っている。物凄く怒っている。
怒ったおかあさんはつかつかとフィズに歩み寄ると、叩くでもなく怒鳴るでもなく、フィズの体を思い切り抱き締めてくれた。叩かれるよりも、そちらの方が痛いように思えた。
「心配したんだから。フィズの気持ちもわかるけど、ね?」
フィズの体を抱き締めたまま、おかあさんは真っ直ぐに上を見た。
つまりは、天井の方。恐らくは、白冬の消えた。
「いい加減にしなさいよ、白冬! 貴方一体、何年生きてるの!」
二百年くらい、と天井の穴から微かな声が返ってきた。消え入りそうな、白冬の声。
「あんまり子供に気を揉ませるんじゃないの! 少しは大人になりなさい!」
これに対する返答は無かった。
おかあさんはそれに対して呆れた様子を見せてから、フィズを抱き上げて家に帰った。
――本当に真夜中になって帰って来た白冬は、叱られて明らかにしょげているように見えた。仕方ないから、おかあさんが寝静まった後にこっそり起き出して行って、フィズが頭を撫でてやった。
「仕方ないよ、原因の一端は白冬だもん」
「納得が行かん」
「……そーゆーとこが原因なんだよ、子供め」
「だから俺はにひゃ、」
「わかった、わかった。白冬がもし僕の家族になったりしたら、それを思って僕が白冬を立ててあげるよ。……ね?」
- Navi
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